国分寺ブログ2021-05-24T15:38:56+09:00

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1106, 2022

【コラム㉔】三種の神器

By |2022年06月11日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

    名古屋に所用で出かけた際、時間が余ったので名古屋城と熱田神宮を巡りました。ちょうどよい機会かと熱田神宮にちなんで「三種の神器」について整理してみようと思います。   「さんしゅのじんぎ」「さんしゅのしんき」「みくさのかむたから」等さまざまな呼び方のある「八咫鏡(やたのかがみ)」・「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」・「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を、みなさまご存じでしょうか。  古事記によれば、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫にあたる「ににぎのみこと」が葦原の中つ国に天孫降臨する際にこの三種の神器を授けたとされています。   ■「八咫鏡」はもちろん鏡ですが、古代の銅鏡であると解釈される一方、古事記の記述に沿って鉄製である可能性も指摘されています。 ■「天叢雲剣」は、ご存じの方も多いと思いますが、天照大神の弟神であるスサノオノミコトが、出雲で倒した八岐大蛇(やまたのおろち)のしっぽから出てきた宝刀です。その後、天照大神の手に渡り、さらに日本武尊(やまとたけるのみこと)が譲り受けます。東征で現在の静岡まで来た時に、野原で四方八方から火をつけられて火攻めにあったとき、辺りの草を薙ぎ払い、火打石を使って逆に迎え火をつけて難を逃れたという故事以降「草薙剣」と呼ばれるようになったのです。ちなみにその場所は、現在の「静岡県焼津市(やいづし)」で、故事にちなんだ地名となっています。 ■「八尺瓊勾玉」は、その名前から大きな赤色の玉(ぎょく)でできた勾玉と考えられます。   ......

1106, 2022

【定期テスト対策】1学期期末対策 特別映像

By |2022年06月11日|Categories: 国分寺ニュース, 国分寺ブログ|Tags: , |0 Comments

こちらのページから「1学期期末テスト対策講座」の必出問題の解説をご覧いただけます。   ◆中2数学 https://youtu.be/z6BlZeC3gOE ◆中2理科 https://youtu.be/YQTxKzjThI8   https://youtu.be/pxnstD5eZ3U   https://youtu.be/3YUTK7Wtc0E ......

906, 2022

【アーカイブ⑨】五月雨

By |2022年06月09日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 明るい空から大粒の雨の雫(しずく)が時折パラパラと落ちてくるような、そんな天気の日が昔から好きでした。見渡す限りの空間を満たして落ちてくる大粒の雨の雫のひとつひとつが光を宿して、まるで自身が光を放ってでもいるようにキラキラと輝いています。急ぎ足で駅前のロータリーを横切っていく人の波に雨の雫が降りかかると、色とりどりの傘の華がパッと一斉に咲きます。  空のどこか高みに風の通り道があるのか、雲のかたまりがびっくりするほどの速さで北へ流されていきます。空はどこか明るくて、今にも雲が切れそうです。その雲の上では日毎に光の飽和したあの夏の空が用意されていきます。そして地上には、一体誰の粋な計らいか、その空の色を写した紫陽花の花……。  そんなふうに考えれば梅雨も案外捨てたものではないですね。    ご存知のように「五月雨(さみだれ)」の「五月」は旧暦の五月であって、つまり「五月雨」とは「梅雨」を指す言葉であります。従って「五月(さつき)晴れ」は「梅雨晴れ」ともなり、梅雨の合間の晴れた日を表現した言葉という理解になります。ところが、字面に導かれてか、これらは「五月の雨」「五月の気持ちよく晴れた日」とのイメージが強い気がするのです。ただし現代では「五月晴れ」に限って新暦をそのまま当てはめて後者の扱いも許容されます。    この「五月雨」という言葉、「古今集」以来用いられてきた雅語(がご)で、対して「梅雨」は俗語となります。「さみだれ」を「小乱れ」に掛けて恋に心乱れる様を歌ったわけですが、いかにも平安歌人らしい気がしますね。    ところでこの季節、空模様だけでなく、ぼくらの生活そのものもどこかはっきりしないぐずついたものになりがちです。季節感と生活心理との呼応は恐らく間違いのないことで、日本人はそういった傾向がことさら強いようですが、だとすればなおさら、心にも「五月晴れ」の一日を用意する工夫が必要になってきます。心までカビてしまわないように、しっかりと心の窓を開け放ち、新鮮な風を送り込んでやりましょう。   ......

706, 2022

【コラム㉓】そうだ 京都、行こう! ⑥

By |2022年06月07日|Categories: 国分寺ブログ|0 Comments

 平安神宮の鳥居の大きさには目を見張ります。  左京区岡崎にある平安神宮は、平安遷都1100年を記念し第50代桓武天皇を御祭神として明治28年に創建されました。  幕末から明治維新にかけての動乱、および東京奠都(てんと)で、物理的にも心理的にも荒廃・衰退した京都を復興する際の、ひとつの象徴的な建築であったと想像されます。  ※「遷都(せんと)」と「奠都」はほぼ同義と考えて間違いありませんが、遷都がこれまでの都を廃して新都に移る意味であるのに対して、奠都は単に新しい都を定めるという意味で、これまでの都(京都)を廃する意味合いを含んでいないという違いがあります。当初は京都の人心や反対派を抑えるために形ばかり東西両京という体制をとったと考えられます。  平安神宮の社殿は、桓武天皇による遷都当時の平安京の正庁・朝堂院が約8分の5の規模で再現されているそうです。壮大な平安神宮ですが、朝堂院はさらにその1.6倍の規模であったということです。1200年前に、その規模の建築が行われたと考えると想像を絶しますね。  京都岡崎のランドマーク「大鳥居」をくぐり、岡崎公園を抜けて平安神宮をゆっくりと巡るころには、日頃の運動不足のせいかさすがに疲れも出て、休憩がてら水分補給するつもりで隣接する「京都ロームシアター」の「京都モダンテラス」に寄り道です。  居心地がよく、つい長居をしてしまいましたが、日没前に鴨川デルタを渡ろうと今回の突撃・京都旅行の最後の行程に出発します。  幕末の歴史の舞台ともなった二条城に続く二条通りを通って鴨川河畔に出て、東岸をのんびりと遡行します。二城大橋から丸田町橋・荒神橋・加茂大橋をくぐって鴨川デルタまでおよそ2kmの道のりのです。斜面に足を投げ出して夕涼みをする人、全身スキのないウェアに身を包みランニングをする人、レジ袋を提げて犬の散歩をする人、仕事帰りのスーツ姿。 誰もが、川端通りではなく河川敷の遊歩道を行き交います。日常生活の中に、そんな風に憩いの時間や空間があることが少しばかりうらやましいくらいです。    ......

306, 2022

1学期期末テスト特別対策講座 6/6(月)・6/18(土)・6/20(月)

By |2022年06月03日|Categories: 国分寺ニュース, 国分寺ブログ|Tags: , |0 Comments

1学期こそ1年間の総決算!! テスト対策講座 お申込みフォーム https://forms.gle/Fiu8J9EKsnMkpUgd7   1学期の成績は1年間の目標を決めるための最初の指標です。 ここで高い目標を設定することができれば、2学期も3学期もきっと更に上を目指していけるでしょう。 そして、学期末テストは科目数が多いことを忘れてはなりません。 9教科を最も効率良く対策する方法を知っているか否かはとても重要です。 中学生の皆さん、今のあなたの勉強法で大丈夫ですか?   ......

306, 2022

【アーカイブ⑧】風の篝火

By |2022年06月03日|Categories: Uncategorized, 国分寺ブログ|0 Comments

かつて辰野町の蛍の乱舞を「風の篝火(かがりび)」という歌で見事に表現したのは、あの「北の国から」のテーマ曲の作者でもある「さだまさし」さんです。 (長野県上伊那郡辰野町は、大正14年に「蛍の発生場所」として天然記念物の指定を受け、以来町ぐるみで蛍の保護と育成に取り組んできた町であり、毎年のピークには目視量で20000匹に近い発生を数えるほどの蛍の名所です。) 当時、これもひとつの出会いと感じて、その歌のライナーノートをガイド代わりに、単身、辰野町を訪れる決心をしたぼくでしたが、残念ながらその日は気の早い台風が迫っていたこともあって、山梨県に入ったあたりから激しい風が吹き始め、上諏訪の駅に着く頃には叩き付けるような雨まで降り出して、後ろ髪を引かれるような思いで上諏訪から上りの列車に乗り換えて引き返したのでした。そんなこともあって翌年の6月には、まるで忘れ物を取りにでも行くように、「是非にも」という同僚を一人伴って、再び辰野町を訪ねたのです。 蛍は雨でも、また風が強くても下草に隠れてしまうので、夜空を舞う蛍火と出会うには天候の助けが必要となります。中央本線から飯田線に乗り継いだぼくらは、まるで祈るような静かな気持ちで列車のタラップを降りたことを覚えています。 日のあるうちに着いたぼくらは、土産のつもりで地酒「蛍祭」を手に入れ、ついでに店の親父さんが使っていた団扇(夕闇の草原にシルエットの男の子と女の子、そして舞い上がる蛍が版画のようにデザインされていました)をねだって譲り受け、主役の登場を待つ形で、賑わう町中をぶらついて祭り気分を満喫しました。 お好み焼き・たこ焼き・ヨーヨー釣り・あんず飴・りんご飴・セルロイドのお面・ソースせんべい・クレープ・焼きそば・色とりどりの風船・金魚すくい・鉢植えの日々草や朝顔。売り子の声・スピーカーから流れる歌・子供たちの歓声・浴衣姿の女の子・下駄の音・アセチレンガス灯の揺らめき……。 やがて日が落ちて、町全体に不思議な高揚感が満ちてくる頃、人の足に弾みがついて、町外れ、松尾峡の川辺へと人込みは流れを変えます。 辰野で観測される蛍は、ゲンジボタル・ヘイケボタル・ヒメボタル・クロマドボタル・オバボタルの5種類で、6月の下旬に開催される蛍祭りは、ゲンジボタルの発生にあわせてのものとなっています。ゲンジボタルは日本古来の種で、大きな蛍火がゆっくりとフェイドイン・フェイドアウトするように明滅する大変印象的な蛍です。 一年願い続けてようやく巡り会えた蛍。それは言葉に尽くせない感動でした。草原を風が渡ると、葉陰の蛍は、まるで足下に広がる星空のようです。一瞬、風が止むと、気の早い蛍が一匹、夕闇の空へ舞い立ちます。次の瞬間、足下の星空、シリウスが、カシオペアが、オリオンが、一大交響曲の旋律のように舞い上がるのです。蛍・蛍・蛍……。それは緩やかな曲線を描いてぼくらの心を正確になぞり、沈黙の持つ、ある種の雄弁さ(饒舌(じょうぜつ)では決してありません)でもって、際限もなくぼくらに語りかけてきます。もちろんそれは「風の篝火」を前にたたずむ一人一人の心模様に他ならず、ゆえにぼくらが読み取り、聞き取っていたはずの言葉は、残念ながら万人の共有しうるものではありません。闇と対峙し、光と向き合う時間は、また、自分と対峙し、自分自身と向き合う時間でもあるのです。 梅雨のわずかな晴れ間を惜しむように飛び交う蛍。寄せては返し、飽くことなく繰り返す波のように、あるいは山裾の湿地を覆(おお)った、それは草叢(くさむら)の生命そのものであるかのごとくに、ゆるやかにシンクロする無数の蛍の明滅。 ......

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